業務実績

8月 31st, 2010

2009年(第10期)

  • 音源編集などのシゴトは以前から、チラホラあって、趣味の「おやじバンド」にもそのノウハウが活かされたりしていたのですが、これがカナリ上達してきました。さらに動画編集のシゴトも発生して、形式やらエンコードやらで、ヒィーヒィー言わされて何とか実現させました。このように、ややエンタメ系のシゴトが良く舞い込んでくるのですが、楽しくてショウガない反面、どんどん「志」から離れて行ってしまう不安感もあったりしました。そんな時はSpringフレームワークでWebアプリを作ったりして、イザという時の為に準備をしていました。
  • 10周年の記念に「名入りタオル」を作成。

2008年(第9期)

企業システム支援など

  • 学会支援でご一緒した会社さんのサーバーを設置させて貰いました。デザインなどのお仕事をされていて、ファイルサーバーやらWEBサーバーとして24時間運転とのコトで、さほどのクリティカルさ・はないとのことで、思い切り安く構築することにしました。Atomを積んだデスクトップ機に、Linuxを走らせ、sambaを入れてapacheとtomcatでグループウェアを運用。phpやらMySQLなどはサイト構築用とのことで環境だけ作りました。これ全部で9万円弱・・・ちょっと後悔でした。

2007年(第8期)

企業システム支援など

  • 学会などのイベントを運営される会社さんとご一緒したコトから、本格的に学会支援の仕事を頂くようになりました。演者のPPTスライドの上映を支援するのが業務なのです。いくつかの会場で、舞台ソデに何台かのPCを置き演者毎にスイッチャーで、スクリーンへの出力を切り替えるのですが、操作自体は演台の演者が行うのです。通常は10分間隔くらいで演題が進むのですが、会場内の受付PCでPPTデータの動作確認後USBメモリにより、各会場にデリバリ。各会場ではスケジュールに合わせて各PCにデータをセットし、逐次スクリーンおよび演台の操作対象PCをスイッチャーで切り替える・・・と、簡単そうに見えますがコレがなかなか。受付ではデータが開かない・・やら、ウィルスが混入していた・やら。会場では、持ち込みPCのRGBが出力しないやら、vaioは信号が弱くてケーブルを変えたら出た・・・やら。データ自体が自動上映になっていて、勝手にスライドが変わったり・・・ヤラ。そんなこんなで大変でしたが、学生のアルバイトさんたちを頼んで、ワイワイと、今考えれば楽しい思い出です。って言いますのも、10期の始めに「学会支援業務」からは撤退させて頂いたのです。イベントもの・も楽しいのですが、やはり本来の「志」とは、ちょっと違うかな?と。
  • 昔 熱心だったDelphiのシステムの面倒を見てくれないか?とのハナシを頂いて、ハルバル福岡まで、ソースとD/Bと打ち合わせに行ったのもこの期でしたね。結局具体的な依頼は頂けませんでしたが、帰りには下関や広島に寄って、充実した出張でした。

2006年(第7期)

ご家庭パソコンサポート

  • 個人の方へのパソコン指導がチョコっと多かったですね。特に「事務所開設」の引き金にもなった「来て頂いて、指導する」パターンを初めて行ないました。もっともソレっきりありません。
  • あいかわらず極小規模なサイト作成などのお仕事も多く頂きました。今であれば、CMSとしてブログシステムを採用すれば、手離れも良いし、顧客先もハッピーなんでしょうが、当時はまだサホドCMSとしてのブログ活用はされていなかった・・・ような・・・気が・・・???

企業システム支援など

  • シコシコと作ってきたサイト作成とメンテナンス作業ですが、この期から「よろず契約」により定期契約を結んでくださる得意先が出来ました。定額契約なので最初の新規の作成ではデザイン設計や写真撮り・取材などで、思い切り「赤字」でした。落ち着けば、ラクになる・・・と思いキヤ、結構頻繁に更新や変更があるので、もう少し契約金額を高めにしておけば良かったと・・・今でも思っています。
  • また、この期にはシステム的なお仕事を多くさせて頂きました。ヒトツは移植モノで、蔵書管理と図書貸出のシステムが、NT4.0上で、処理はaspでデータベースはmdbで動いていたのですが、老朽化のため移植とのことでした。テーブル構造は現状通りで、処理内容も基本的にそのままで、Linux上でstrutsとhibernateのフレームワークを使って、データベースはPostgreSQLで、半年間で再構築しました。これは即リリース予定でしたが、データ内容の棚卸作業が進まずに、結局2010年にwin2003serverへのOS移植にまで待たされることになちゃうのです。さらに新聞などの情報提供サービスの移植では、利用登録により配信形式から、Ajaxを多用してWeb閲覧形式に変更しました。これはカナリの力作でしたが、リリース直前になって情報元の権利確認が取れずに「お蔵」入りとなりました。もうひとつは、VBによる物流管理システムの拡張処理でした。これは典型的な「スパゲティーコード」を解析することから始めて、何とか2ヶ月位で運用まで漕ぎ着けました。解析をしていると、「何故こんな処理にするの?」とか、「これ何の意味もないじゃん!」とか・・・色々勉強になりました。

2005年(第6期)

ご家庭パソコンサポート

  • 6期から「お仕事がらみ」の個人的なサポート依頼が増えてきました。大きなネットワークや独自のシステムなどなくても、PC を活用したり、ネットを利用したり、といった要望が多かったですネ。レンタルサーバーの手続き代行やら、PCの購入代行やら、代行業務や機器販売が活発に なりました。物販は本意ではありませんが、新しいマシンをセットアップできるので楽しいですね。
  • ひょんなことから、Webサイトを作成する仕事を頂きました。私は基本的にHTMLを書く機会というのは、エディターを使ってのWebアプリのイ ンターフェース画面作成くらいなのですが、お客さんがホームページビルダーでの作成を要望されていたので、ビルダーなら以前から趣味サイトで使ったコトが あるので引き受けました。ビルダーの生成するHTMLは文法的に汚いと思っていましたし、あまり商用サイトの構築は得意ではなく、始めてのサイト構築とい うこともあるので、ものスゴく謙虚な請求書を提出したところ、それを上回る金額を頂いちゃいました。それはもう、ありがたくて、ありがたくて、忘れられま せん。
  • これをきっかけに、サイト構築のおハナシを数多く頂くようになりました。HTML文法をしっかり守ってシコシコと地道に作っています。そのうちに CSSを使ったり、リキッドデザイン化など、ブラウザで閲覧するという特性をじっくり見据えて作れるようになりました。これは Ajaxの勉強にもつながりwebアプリケーションのシステムにも十分応用できました。

企業システム支援など

  • セミナー発表用のパワーポイントのスライド作成の依頼を頂きました。並行しての説明のため、ツイン上映とのプランでした。まずご用意頂いた資料と ご要望をもとにして、叩き台を作成し、幾度かこれをもとに修正や追加を繰り返しました。流れがつかめた所でアイデアをご提案したところ快く採用して頂きま した。本番では装置の操作を担当させて頂きましたが、コ気味良いジョークも交えながらの楽しい発表となりました。ここではプロジェクタ上映中にPCのウイ ルススキャンが走ってしまうなどの「大ボケ」を経験しました。この体験からプロジェクタ上映では必ず、この手のソフトを停止するようになりました。
  • 以前からのパワーポイントのスライド支援も続いております。演目に応じて移動する参加者が多いので、各会場のヒトの動線の考慮や、如何に的確なコ ンテンツを的確なタイミングで投影するか?大変勉強になります。主の発表の投影は35mmリバーサルフィルムを長年採用していらっしゃいましたが、近年は パワーポイントのデータをフィルム化している発表者が増加したこともあり、昨年からは主投影もスライドフィルムを廃止し、パワーポイントによる上映に切り 換えられました。この支援を始めた頃は、案内のパワーポイントを操作しているだけで、よく問合せを頂いたものですが、もはやパワーポイントは「当たり前」 になって来た事を実感致します。

2004年(第5期)

企業システム支援など

  • 専門学校のパソコン講師では、2年目なので年間の段取りもわかり、最初の授業でスキル調査を行なったりして、ひとりひとりの状況をザックリ把握して、レベルをちょっと下げて取り組みました。去年の学生から「実習の時間に何人かの学生に前で操作してもらい解説してもらう方式がわかりやすかった」と言われたので、学生の気を抜かせない意味も込めて「読んだり、やったり、答えたり」を順番でやるようにしました(これにより授業の進捗スピードはガタ落ちなんですが、これが社員教育と学校教育の差と心得ました)。テキストに記載されている流れを基本に、キモの部分はアレンジしながら進め、あえてこのレベルでは説明すると混乱するだろうと思える箇所は割愛しました(ワードのスタイルとか、エクセルでのヘッダフッタとか)。この「スピードを落として、内容薄める」方針にしたことで、理解度を上げることができたように感じました。成績評価のための課題もソコソコ良く出来ているので喜んでいましたが、友達のデータをコピーするヤカラがいるらしく、がっかりもしました。とは言え、正月前の「おまけ授業」における「年賀状の宛先の差込印刷テクニック(2コマ)」と、学年終了間際の「大急ぎパワーポイント講義(3コマ)」は来年につながる気がしました。
  • 新規に企業さんからネットワーク接続の整備の依頼を頂きました。既存の有線環境と新規に導入された無線環境などの調整が主な支援でしたが、付随して多くのお仕事を頂きました。インターネットへは、頻度が低いのでPHS経由ダイヤルアップ環境で個別にアクセスしていたそうですが、PC増加に伴って接続要望も増えたことからADSLを契約しLANに落としました。無線環境のノートPCはインターネットに接続させるが、有線側の基幹業務系PCは接続させない・・・など、本来であればセグメントをわけたり、ルーターに通過権限を設定したりする方法を取るべきでしょうが、安価に済ませる為に「必要に応じてHUBのケーブルを抜き差しする」という、とてもシンプルな方法で問題解決しました。
  • ある企業さんが、動作している基幹業務システムのハードウエア老朽化に伴って新型PCを導入したのですが、システムがOSの旧バージョンにしか対応していないので何とかならないか?・・・との依頼を受けました。OSのダウングレードで対処したのですが、アクの強いメーカーの PCで、もちろんメーカー対応などなく、大変な作業になりました。それ以来、このメーカーが嫌いになってしまいました。世に言う「逆怨み」ですね。
  • とある企業さんで、webアプリによるEDIに参加されましたが、そのアウトプットの成果物はcsvのダウンロードを行なうにとどまっており、一部のデータはコードのみ記載されている為、そのままプリントアウトしても利用が困難である問題が表面化しました。そこで簡単なマスタを有したうえでダウンロードファイルを帳票化(再現可能)するwinアプリを作成いたしました。ひさしぶりのアプリ開発でしたが、このプロダクツは結構工夫して作り込みました。二重処理防止機能や再印刷機能など、単純なアプリでも設計して行くと色々とあるものですよね。
  • とある企業さんから、既存システムの入庫処理(画面入力対応)とは別に、CSVデータの一括取り込み処理の作成依頼がありました。システム仕事が活発でうれしい限りです。VBで書かれたソースから処理を解析することから開始しましたが、これがトンでもないコーディングで苦労しました。関数名は暗号のような命名で、重複処理やカラ処理が回り、まさにスパゲティーコーディングでした。やっとのことでプロトタイプを作成し、テストデータで検査を終えましたが、後日、エラーで処理が不完全との連絡が入りました。CSVの最後のセパレータに問題が発生しているようで、運用データを良く見るとテストデータと最後のセパレータの扱いが違っていました。これはデータ提供者がエクセルを使って手作業でcsvを生成していることも原因だったようです。セパレータの解釈と普通じゃないエクセルのCSVに対する対応を施して、実運用につなげることができました。色々あったけれど、こういったコトって楽しいのですよ。私は。
  • とある企業さんから、週に何日でも良いから部門のシステムの面倒を見てくれ、とのハナシを頂きました。以前の部門システム担当者は、情報システム部門に移動になり、アナが空いたとのことでした。まずサーバー室の掃除から始めました。乱立するマシンのどれが何をしているのか?床のケーブルは活きているのか死んでいるのか?・・・仕様書はもちろん資料などのドキュメントすらありません。約半年間で、なんとかマシンだけども整理しヤレヤレと思っていると、いろいろなサーバーのデータがパンクし始めました。増設を繰り返したHDDには、開発時のソースやデータが点在し、中には「test」というファイル名の実運用スクリプトまでありました・・・とほほ。パンクしているドライブのデータを移動したくても、何に影響がでるのかさえニワカにはわかりません。基本的にさほどクリティカルな処理はなさそうなので、サーバーやサービスを止めてみて、回りの反響を見る・・・という、「現実的」な対応をしました。やはりシステムは文化でありゲイジュツであることを再確認した次第です。

2003年(第4期)

ご家庭パソコンサポート

  • 「ウィンドウのバツマークとかが変な数字になってる」とのことで伺いました。フォントファイルの破損を直して復旧。その他にも「ウイルスとかアップデートとかADSLとか何をどうしたら良いのやら・・・」とのことで、お預かりのうえ最新版のアップデートをあて、ウイルス対策ソフトなど、マシンの整備を行ないました。出版原稿の作成にワープロを活用されていたのですが、上手く配置できないとのこと、スタイルや表を使って「手直しに強い使い方」をサポートしました。
  • 年賀状の作成代行のお仕事が始まりました。内容の編集デザインももちろんですが、宛名まで個別に印刷することで個別対応のサービスとなった気がします。
  • 「何とか助けて?」といったトラブル対応的なモノやだけでなく、文書作成や操作方法など継続的なレクチャーの依頼が増えてきました。何件か対応していると、「やりかたを覚えたい」というお客さんと「なんでも良いから、うまいコト作ってくれ」というお客さんがいることがわかりました。以後、ちょこっと説明しながら操作して、お客さんが乗ってくれば、より時間をかけて一層説明にオモムキを置くようにしましたが、そうでない場合はとにかく集中して、あらゆる高度な技を駆使して、テキパキと作っちゃうようにしました。サポートといってもイロイロあるのですね。

企業システム支援など

  • 専門学校のパソコン講師の仕事を頂きました。今までにもサラリーマン時代の社内教育などの経験もあり、できそうな気がしたので、前期・後期の通年で、週2回各2コマをやることになりました。1クラスは20名くらいの生徒さんでマシン環境はwindows98seで office2000です。ちょっと古いですけど、この組合せは結構安定してますよね。問題はPCのハードでして、ちょくちょく故障します。今考えれば、幾つかのマシンがUSBのNICでつながっているコトが状況を物語っておりました。最初は、とにかく段取りも何もわかりませんから、授業日以外でも授業時間外でも教室に入って、マシンの調整とか講義の段取りや動作確認などやりましたね。とにかく学生に楽しさをわかってもらおうと、予備マシンでapache サーバーを立て、学生ごとのページにメモ帳やペイントの作品をアップしたりしました(これすごい労力でした)。話を聞くとほとんどの高校で授業があったとのことでしたので、授業で使う教科書(小冊子テキスト)は「初歩的すぎる」と思いまして、あまり使わずに、講義内容もちょっと高度に設定しました。ワードでは段組を使ったり、エクセルではvlookupを使ったり、実務で使えるテクニックを盛り込んだのですが、イザ課題としてやってみるとあまりカンバしくなく、社内研修では参加した社員さんを唸らせたスーパーテクニックは、ごく一部の学生に受け入れられたに過ぎませんでした。結構がっかりです。
  • とある企業さんから、ホームページ作成やデータ処理・加工などの仕事を頂きながら、ちゃっかり「社内のネットワーク整備の提案」作成し、おかげさまで採用して頂きました。複数のシステムが2系列の独立した社内LANで運用されておりまして、得意先とはシステム毎に個別にダイヤルアップ接続でデータ交換しておりました。インターネットの利用は外線によるダイヤルアップで、プロバイダのドメイン内にホームページを開設し、メールアカウントは必要に応じて接続アカウントとともにプロバイダに依頼されていました。「社内LANの統合整理」「インターネット接続と独自ドメイン運用」「社内LANの延長」といった段階にプロジェクトを分けて進めました。2系列に分かれていたネットワークを各システムの影響を考慮しながら、1系列にまとめる作業の中で、ひとつのシステムのベンダーからIPアドレスの変更に対応できないとの連絡が入りました。ルーターで対応しようかとも思いましたが、そのシステムのクライアントマシンにNICを2枚さして対応しました。(おかげでえらい安くあがりました)この時点では暫定的に固定IPで構築です。独自ドメインの申請とともにレンタルサーバーの申し込み、ADSLと事務的な手続きを完了しました。それぞれのリリース時期を見計らってルーターを導入し、この DHCP機能でクライアントの接続環境の汎用性(特別な設定無しでいらっしゃい!)を確保しました。この段階で外部サイトでは、以前からあったサイトのコンテンツを移設したり、社員さんのメールアカウントを作成したりの作業を行いまして、クライアントPCのメール環境などを調整して行きました(8年前の古いメーラーの多量なデータを最新のメーラーに移植するトコが一番苦労しましたね)。最後は社屋の別のエリアにネットワークを敷設しました。無線も考えましたが今回は有線で行くことになりました。ここのクライアントPCで、ダイヤルアップでしかつながらないメールサービスの問題とか、固定IPで外部とダイヤルアップルーターでつながるマシンが持ち込まれたとか、色々とありましたが、何とかスイスイと作業は進み、無事完了することが出来ました。既存しているネットワークを段階的に変更して行くことは、なかなか面白かったですね。
  • この期からイベントでの支援参加も復活しました。パワーポイントを駆使して会場の観客に案内情報を伝えることが主な業務です。これといって難しいことはありませんが、誤字脱字のチェックやら、垂れ幕の印刷やら、スライド遷移のタイミングやら、イベントというのは経験すればするほど、いかに「カッコよく・ソツなく」できるかが勝負で、うっかりできないことが勉強になりますね。

2002年(第3期)

ご家庭パソコンサポート

  • 企業さんからもスポットで、パソコンサポートの依頼を頂くようになりました。プリンタ設定やら、業務用のパッケージソフトやら、比較的小規模な企業さんでは専属のシステム担当がいるわけではないので、トラブルの解決に苦慮されているようでした。特に取引先からの電子的な情報交換(EDIなど)への対応力が取引条件に含まれるようなケースが多く見受けられました。但し、協力依頼側(おおむね大手大口取引先)が一方的に自己都合を押しつけているような印象であり、もう少し相手の都合を考慮した「からくり」にすれば良いのに???と、思うことシバシでした。

企業システム支援など

  • 以前作成したwindowsアプリの手直しなど、徐々に本来の「システム系業務」が増えてきました。とてもウレシイことです。

2001年(第2期)

ご家庭パソコンサポート

  • この期は、企業さん向けの大口の支援業務が多かったからという訳ではないでしょうが、ご家庭向け業務がほとんどありませんでした。

企業システム支援など

  • とある企業さんからパッケージソフトによる販売管理がうまく動作していないとのことで、支援依頼を頂きました。調査の結果、汎用パッケージであるが故(融通がきく)かもしれませんが、データの整合性を確保するには、操作者の裁量(人間系の的確な判断処理)に強く依存していることが確認されました。しかしながら、操作の影響を理解できるスキルを持っているヒトは見受けられず、目先のデータ調整のために行った操作が、別部門の管轄するデータの整合性を著しく壊していることにまったく気がついていませんでした。具体的なハナシとしては、売上や仕入の商流業務が、物流の在庫商品と直接連携している「仕組」にもかかわらず、「値引」や「値増」の価格調整に商品アイテムを指定するので、在庫が桁違いに狂ってしまっていました。また、操作者が自由にマスタ系データの生成ができてしまうので、表現精度がまちまちでありながら同一商品が複数存在することで、在庫はもちろんのことながら売価や原価のデータも再利用できない状況でした。パッケージソフトのマニュアルなどを確認したところ、いくつかの設定を変えることでマスタ系の集中管理化はシステム側で制御できるようでしたが、勘定系操作のヒトの裁量への依存度は避けられず、人員規模からみても教育の徹底は困難と思えました。そこで、これを機に業務ソフトを独自に開発する決断がなされ、地元数社のソフトハウスのコンペを経て、新システムの構築を開始しました。業種業界固有の処理を採り入れるとともに「必要以上に業務に制限を与えることも問題あり」とのことで、マスタ仮登録機能なども盛り込まれました。開発途中で依託業務は終了しましたが、現在は順調に運用され安定稼動しているそうです。パッケージソフトの利用は積極的に行うべきとは思いますが、使いやすさ・管理のしやすさといった製品の完成度と運用側の体制を見極めた上で、採用を検討するべきと言えそうですネ。

2000年(第1期)

ご家庭パソコンサポート

  • 開業して最初の依頼は「中田英寿のホームページを見たい」でした。ご自宅にお伺いしたところ買ったばかりのパソコンが箱に入ったまま置いてありました。プロバイダ契約の手続きは完了されていたので、機器を設置しダイヤルアップ接続でめでたく「中田のサイト」に行きました。その後はメールやワープロの操作支援をさせて頂きました。ご主人は写真がお好きで画像の処理のご質問が多かったのですが時間が取れずに大変残念でした。
  • 「会社でパソコンを使っているが、基本を教えてくれないか?」とのことで伺いました。超初心者と言うことなので、なるべく専門的な深いところは省いて、フォルダとファイル、プログラムとデータ・ショートカットなどの説明をしたところ、「マイドキュメント」以外にも保存することが出来ました・・・ははは。「shift+TAB」で入力項目の前に戻れるなど、windowsの基本作法というのは意外と知られていないモノであることを実感しました。

企業システム支援など

  • 情報化団体の運営業務(事務局)を受託しました。週3日で2日は事務局出勤といった形態です。唯一の専属スタッフであったので「問合せ対応窓口/会員サポート業務」から「理事会・各部会・総会・説明会などの設営」と総務的な業務が基本でしたが、他にも独自ドメインを取得し、レンタルサーバーでサイトを作成したり、システムの運用会社からの利用データを、利用者さんの請求データに変換し、請求書を発行するなどPCを駆使した実務も多かったです。さらに団体活動/事業活動に振り分けた会計処理を行ったのですが、これは処理よりも説明するのに一苦労といった感がありました。創成期の楽しい仕事で、大変お世話になったのですが、ハンズを開業した「志」とは異にするものを感じまして、2003年には終了させてもらいました。
  • 勤めていた販売会社の社長からのご紹介で、とある企業さんから、2000年問題を機にした基幹システム再構築で問題発生とのことで、支援依頼を頂きました。調査の結果、不完全なデータ移行や設計不備、プログラムの不具合が多数発覚し、操作するたびに「データ矛盾を産む」ような、まさに「仕事にならない泥沼状態」でした。そもそも、社員やシステム部門からの評価の高かった「移行前のシステム」であっても、OSやD/B・言語への適切な処置により2000年問題は対応出来たことも判明したので、安定稼動していた移行前システムへの「先祖帰り」を最初に行う方針に変えたりもしましたが、このマヌケ・システムが発生させた3ケ月の膨大なデータの旧システムへのコンバートができず、プロジェクトは完全に暗礁に乗り上げました。2001 年夏には都合により「支援終了」となりましたが、まさにシステムを甘く見るとトンでもないことになることを「まのあたり」にした経験でした。
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