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7月 16th, 2010

開業までのプロファイル

ところで、ご紹介が遅れました。ハンズプロダクツの概要を説明しますね。ハンズプロダクツの実体は「佐藤 誠」さんです。つまりこれは「コンピュータのサポート業務」を生業(なりわい)とする個人事業の屋号であります。キャッチフレーズは「究極の少数精鋭」と しました。学生時代に赤点ギリギリ成績のなか、唯一ほぼ満点で盛り上げてくれたのは「電算」の授業でした。今となっては神のゴカゴだったのでしょうか?現在に至っては、コンピュータは誰よりもイトオしい相棒であります。それでは、これまでの経緯をご紹介します。

1980 友人の8bitパソコンを数週間借り受け、ROM起動のN-BASICのプログラミングにハマる。
雑誌のプログラムソースコードを徹夜で打ち込んでガンダム動かしたりもしたが、当時は1行のプログラムで動作するゲームなんてのもあったなぁ?。
1983 遊具メーカーの設計部に所属。イラストや図面などを(鉛筆で)描き、工場での試作や現場での施工も経験し、カタログ作成では文章作成や写真撮影・構成編集 など、まさにオールラウンドな活動で色々なことを経験させて貰いました。この時期に以前からなじみの8bitのN-BASICで「応力計算プログラム」「組合せ製品の自動設計プログラム」(遊びでは「おいちょかぶゲーム」)などを作成し、その後これらは16bitのMS-DOS版N88-BASICに移植される。特に「組合せ製品・・・」は16bitへの移植後は思う存分メモリやSCREENが使えるようになり、配置設計と部品構成・標準価格の算出の基本機能に加え、視点の角度や高さを変えながら鳥瞰図のレビュー機能を追加、今考えても、とてつもない熟成度であった。
1988 販売会社で営業を経験。大量の受注(出荷依頼)伝票の記入を毎日手書きで行なうことにギモンを感じ、自宅で眠っていた8bitパソコンを持ち込んで伝票自動発行プログラムを作成した。当時の上司の評価を受け、16bitマシンでdBASEIIIによる進化版に発展。これは売上伝票(納品書)まで発行し、扱 い商品の自動学習登録機能など利便性が向上。運用操作を事務担当に移行するなどで「自分の残業時間」を減らすことに成功
出先拠点の営業で「パソコンお宅」がプログラム作ったことが本社の耳に入り、ちょうどその頃に全社システム化のプロジェクトが立ち上がるとのことで「お呼び」を頂く。
1991 まずは巨大な模造紙に現状の業務を描くことから始め、全国のシステム見学行脚を参考に業務のフローをアレンジし、めでたく1991年には汎用機ACOSに よる全社販売在庫管理システムが本番稼動に至った。導入に際しては4日間にわたる操作説明会でノドを潰しながらも、繰越の売掛・買掛・棚卸などのデータ照合に帆走した。このシステムは1年後に年次機能と入出金管理を追加、その後も月次決算や営業管理・リベート機能の汎用化など進化するとともに、最終的には 完全に社内開発体制に移行した。
1997 社内のLAN環境をTCP/IPに切り換え。WANの一部をフレームリレー化など、しばらく離れていたオープン環境に返り咲く。勢いNTドメインを建てグループウェアを構築し「闇の権力者」となる。このサーバーをRASにしたてて、汎用ホストへのダイヤルアップ接続環境を構築し、夜間バッチの自宅監視を実現することで、会社への「定期お泊り仕事」を撲滅!
基幹系の機能が安定化してきた頃合に、基幹系システムと社外システムの「データ仲介処理システム」をVBやDelphiで構築。同時期に業界情報化活動に参加。
2000 幾多の経験を踏まえ、システムは文化であることを強く認識。システムの導入は単にスタイルを取り入れる「上(うわ)っ面(つら)」な考えではダメで、魂を込めた経緯や歴史をもとにじっくり練り込んで、深く理解して、初めて納得できるモノになる・・・と実感。
あえて新世紀を迎え、その宣教者とならんためにハンズプロダクツを開業。宣教師どころか「迷える子羊」であり続けながら現在に至る。
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